さらば、栄光の「66」-。福岡ソフトバンクの斉藤和巳リハビリ担当コーチ(35)が28日、復活のマウンドに立つことなく「現役引退」を決断した。今月末に迫った支配下選手登録の期限を前に現役復帰を断念、この日限りでユニホームを脱いだ。

 王貞治球団会長(73)と秋山幸二監督(51)にも意向を伝えており、退団する方向。2008年以降、実戦登板から遠ざかっていた同コーチは2度の右肩腱板(けんばん)修復手術を乗り越え、不屈の闘志で1軍のマウンドを目指したが、故障には勝てなかった。2度の沢村賞に輝いた常勝ホークスの元エースが6年近い苦闘の末、白球に別れを告げた。

 ■球団とファンに感謝
 復活のスポットライトを浴びることなく、ユニホームを脱いだ。今季支配下選手登録されなければ、現役復帰を断念することを、斉藤コーチは昨オフの段階で決めていた。夏場になっても状態が上がらず、登録期限となる31日までに登録されない方針を球団側から伝えられ決断。王会長や秋山監督には先週伝えた。
 昨オフの契約更改交渉で球団に申し入れ、契約の内容を見直した。功労者に対し、現役復帰まで長期的視野で見守る方針を打ち出していた球団側とはコーチ就任時に複数年契約を結んでいた。だが、単年契約に切り替え、退路を断った。「球団には心から感謝している。6年間投げていない投手にここまで環境を整えてくれる球団はない。だからこそ、これ以上甘えられない」と口にしたこともある。期限を設定した上で、リハビリ6年目のシーズンに突入した。
 コーチとして故障者を指導しながら現役復帰を目指す日々。今年に入って胃痛に襲われ、薬を手放せなくなった。そんな斉藤コーチを支えたのは2011年12月に結婚した紗衣夫人(スザンヌ)だった。多忙なタレント業の合間を縫って福岡市内の自宅ではレパートリーを増やして料理本を出版するまで腕を上げた手料理を振る舞った。

 ■右肩リハビリ6年目
 自身のブログを更新するたびに届くファンからのエールも背中を押した。「ファンの声援がなかったら、とっくに諦めていた」。周囲の期待に応えたいという思いとは裏腹に苦闘の日々が続いた。キャッチボール、遠投、ブルペン投球、打撃投手と一歩ずつ段階を踏んでも、実戦登板まではたどり着けない。けじめをつける時期も少しずつ意識するようになった。
 師匠と慕った小久保裕紀氏が昨季限りで現役を引退。かつてバッテリーを組んだ城島健司氏もユニホームを脱いだ。「1軍のマウンドに立ってチームに貢献できなければ、意味はない」。葛藤の末、残された時間に全力を注ぎ、自分の手で幕を引いた。最後の練習日と決めていた28日、通い慣れた西戸崎室内練習場のブルペンに入り、決別の50球を投げ込んだ。

 ■西戸崎で決別50球
 03年に20勝投手となり、王ホークス日本一の原動力になった。同年と06年の2度、投手として最高の栄誉である沢村賞に輝いた。150キロ超の快速球と140キロ台のフォークボール。何より気迫を前面に出す「負けないエース」だった。西武の怪物右腕・松坂大輔(現インディアンス傘下3A)には公式戦9度の投げ合いで5勝3敗と勝ち越すなど球界最高峰の右腕として君臨。一方で日本ハムと争った06年のプレーオフ第2ステージ第2戦ではサヨナラ負けを喫し、札幌ドームのマウンドで泣き崩れた。「悲運のエース」としてもファンの記憶に残った。
 現時点ではコーチ業を続けず、退団する方向。実働11年で強烈な光を放った背番号「66」が静かに白球を置いた。

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